この事業は、平成5年から参画している。
当初は都市公団(現都市機構)からの委託で数年間、その後は地元商業者からの委託で。
都市機構の組織改編等の影響を受けながら紆余曲折があり、ピーコックとの取り合いから敷地が決まったのが、平成19年春
ここから、やっとスタートである
施設計画の策定、資金計画の検証・修正、組合員の店舗の位置決め(配置調整)、仮設店舗の計画・調整・建設・移転・オープン・・・・・
本設の基本計画が固まったのが20年夏、やっと現実的な資金需要が見えて来た。
この頃から、頻繁に商工中金さんと打合せを行い、実質的な事業計画を組み上げる。
余談であるが、資金計画については電卓片手に30年以上も前からやっているし、いくつものショッピングセンターの事業計画を作り、大したトラブルもなく融資頂いて、すべてオープンさせている。
昭和55年にオープンしたサンコア(宮城県)では、徹夜で電卓をたたいて20年の収支計画を3パターンもつくり、通産局(当時)の推薦を貰い、北海道東北開発公庫(現日本政策投資銀行)の融資を得られた。パソコンのない時代のことであり、いまや懐かしい話であるが。
その後、NECのPC8001がでて、自腹でこれを買って、BASICでプログラムを書いた。
おかげで、シュミレーションが簡単にできるようになって随分助かった。
当時、周りで、プリントアウトしたシミュレーションは、銀行の不細工なラインプリンターで打ち出したもの、それもたまに、しか見たことがないので、我々の業界でPCを使った第1号は私ではなかったのかなと思うが、さて・・
思い出話はこれくらいにして、
いままで、いくつもの金融機関とお付き合いして来て、どのような手順で打合せを重ねて行けば双方(事業者と金融機関:借りる方と貸す方)の納得できる事業計画が構築できるかは十分分かっているつもりである、いや、分かっているつもりであった。いままで、融資を断られて事業化できなかったプロジェクトはなかったので。
実際、商工中金さんはそのとおりに対応して頂き、こちらも対応して来た。
この信金にも、着工の半年も前に必要書類はすべて渡し、変更のあるたびに報告し、追加で要求される資料はすべて渡して来た。
実施設計図面まで。
通常は実施設計図書には防犯絡みの情報も入っているので、融資の審査段階で要求されたこともないし、出したこともない。 実際こんな書類、受け取った方も困るだろう。専門家でない限り中身も分からないだろう。
最初に会った時から、事前審査を早めに行ってもらって、協調融資なので「信金の融資枠を決めてくれ」とお願いして来た。
答えはいつも、「全額信金で・・・・・」であった。
信金は金利も高いので、結果を見てから相談すればいいか・・ぐらいに考えていたのだが
2月頃であったか、要求にはすべて応えて来たし、着工時期も近づいて来たので、いい加減に「融資枠を出してくれ」と言ったら、審査はケンカクが出てからだ等と言い出した。「ケンカク・・・・???」”懸隔”?、”剣客”???よく聞くと「建築確認申請」のことだ。
業界によって、いろいろな略し方があるもんだと感心するが、それでは事業が担保できないし、「協調で」と確認すると、「全額で」との答え
別の金融機関を当たろうと相談するが、ここまで言っているのだから、事前審査は終わっていて概ねの融資枠はあるはず、正式に回答できないだけだろう・・・・と、それが”世間”の常識だからと。
5月の末に「ケンカク」の済証をもらい、コピーを持ってこの信金を訪ねると、いつ金がいるのかと、上から目線で、8月の工事費の中間払いからと答える
6月も半ば頃から、資金計画の質問をはじめとして、ちょくちょく質問がくるようになった。
質問内容から”本当に理解しているのか?”とちょっと不安になるも、今更そんなことはないだろうと自ら不安を打ち消す。「本店の融資担当からの確認事項を流しているだけだろう」と
建築の基礎のコンクリート打ちも大分進んでいるし 、今更・・・・
いまから思えば、本当にこの時まで何にもやっていなかったんだと気がつく。
信じられないことだが、これが「信金の常識」なのだろう。挙げ句は「融資の約束をした訳ではない」と居直る。
システムが悪いのか、単に担当した支店が無能なだけだったのか。
間違いなく言えることは、「信金とはこんなレベルなんだ」と関係者みんなに思わせたことだ。
それから後が大変
理事長は、責任を一手に背負い、飯ものどを通らない日々を送ることに
その時に落ちた体重が未だに戻らないとか








最近のコメント